あなたは、まわりの女性と自分をくらべたことはありますか?
「わたしはわたし」と思いながらも、つい、人とくらべて劣等感や優越感を感じてしまうのではないでしょうか。
わいたやる気がまわりを見たとたんにしぼんでしまったり、一気に不安になったりと、心はなにかと疲れてしまうものですよね。
人はひとりでは生きていけない社会的動物である以上、これはどうにも避けられないさだめかもしれません。
ですが、気づきませんか。
人とくらべてしまう時、ほとんどは視覚を使っています。
つまり、見比べているわけです。
一方、現実世界の裏側、性の世界は、人とくらべたくてもくらべられない「感覚」がすべてです。
あなたがどう感じるか、また味わいたいかどうかを、あなたひとりが好きに決めていい、すてきな場所です。
それも、かなりの広さの。
たとえば、毛細血管にしても、人ひとり分で地球を二周半できるほどの長さがあります。
細胞ひとつひとつさえ、そのまたミクロの分子でなりたっていると想像すると、あなたのからだは、まさに小宇宙。
その日その時起きた感覚も、二度と再現できない一度きりのもの。
陰の旅では、だれとも「共感」しなくてもすむ自由さと、無限の広がりを自分のペースで飛びまわれる楽しさが詰まっています。
現代では、性やセックスといえば、アダルトビデオや官能漫画、官能小説といった男性向けの性情報が、代名詞のようになっています。
女性でも、これらを目にしたり読んだりすることで、セクシャルな気分になることは可能です。
ただし、これらは相当に「背伸びした性のかたち」です。
もっと女性を性的によろこばせてみたい、あるいは、女性が大きく乱れる姿をのぞき見たいという男性の願望の元に作り始め、これでもかこれでもかと男性的な快楽を追求しているもの。
女性を守るというよりは、男の強さを誇示したり、男性の願望にぴったりマッチした極端な女性像が描かれているものが大半です。
基本的には、男女どちらも真実の素の姿とはいいがたいのですが、まともに影響を受けすぎると、なんらかの劣等感を抱いてしまうことが、なきにしもあらず。
そう、見比べです。
事実、「自分はとてもこんなふうに女性を扱えない…」と、性的劣等感にはまってしまう男性も少なくありません。
スーパーマンの映画を観て、自分は空を飛べないと落ち込むようなものなのですが……。
女性も、たんにムードを楽しむ分にはよいかもしれませんが、もしも、セクシーさを身に着けたい、あるいは官能的なしぐさを学びたいといった理由なら、まったく不要です。
なぜなら、男性にとって、あなたはただそこにいるだけで、ドキドキするほどセクシャルなのですから。
その自覚を、今までもっていたでしょうか。
自覚さえしていれば、性的魅力は充分すぎるほどです。
男性が女性を求める欲求は、女性が男性を求める欲求の二十倍、三十倍ともいわれています。
これは生理であり本能ですから、あなたに失礼な言動をしたのでないかぎり、白い目で見ないであげてください。
男性は、ある意味女性以上に性的抑圧を課せられているのです。
性情報は元々、男性たちがひそかに抑圧から解放されるための商品でしたから、当然刺激は強いです。
その刺激的な女性像を参考にしてしまうと、あとでつらくなることが往々にしてあります。
欲求の度合いがちがいますから、セクシーな女性というイメージを要求されつづけることで、ぐったり疲れてしまうのです。
このケースで、おたがいに失望したり、わかりあえずにいがみあって終わる男女をたくさん見てきました。
経験は失敗ではありませんが、愛としあわせにとっては、遠まわりにはなりそうです。
男性は陽。
女性を守り、よろこばせたい本能の持ち主。
女性は陰。
守られ、よろこばせてもらうことで男性に生命力を与える存在。
人の心とからだに組みこまれた性のしくみ、この原則は、もはや古くさい男女観にも思えます。
実際、今の社会という陽の世界で、どれくらい活きているでしょうか。
8割の女性が仕事をもち、経済活動に従事しているのですから、男性に守られているという感覚は、逆にどんどん薄れていくのかもしれません。
でも、だからこそ、現実の裏側である性の世界では、この本能の姿に戻る解放感やよろこびを見いだすことができます。
おたがいにないものを補いあえる、楽で自然な結びつきです。
日常でいつも強い女性として気を張り、りんと背筋を伸ばしているとしても、性の世界では、心ゆくまでだらりと力を抜ききっていいのです。
むしろ、そのほうがいいのです。
奥ゆかしいあなたであっても、甘えることやお願いごと、媚態をためらわないでいきましょう。
だれの目もない秘めごとなのですし、夫や恋人は、数十億という人の中でただひとり、今あなたを抱きしめ、あなたの望みを叶える権利を得た人です。
あなたがまず心を開いて、彼をヒーローにしてあげましょう。
性的な関係のすばらしさは、おたがいに一緒に成長できることです。
そのためには、高いところから始めないで、ごくごく低い、これじゃ幼稚じゃないかと思うくらいのところから、ともに階段を昇っていったほうが楽しいし、心地よく、性の快楽にも早く近づけます。
あなたは少女。彼は少年。
ふれあう、じゃれあう、見つめあう。
電気を消して、肌の感触をたしかめあってみる。
そんなところから、まるでメビウスの輪のように、いつのまにかふたりだけの陰世界を冒険している……。
すてきな旅になること、まちがいなしです。