人の役に立てなくてもいい。
そういう他人ありきの意識軸だと、お人よしの深みにはまっちゃったりするから。
まず、きみ自身のからだを守ろうよ。からだを守れば、心も守れる。
人の役に立てるのは、それからだよ。
そうでないと、都合よく利用されたり、見くだされて傷つくこともある。
わたしの子が?じょうだんじゃない。
そういう親のエゴのもとに育ててきたから、きみは本質的には相当わがままなはずなんだ。
人とおなじようにやれなくて、葛藤しているようで、
つらいのかな、大丈夫かな、とはらはらする。
だれかに「こうしなさい」と言われて従ったほうが、楽だし、そうしてあげればよかったのかなあ、とすこし思う。
でもね、わたしの生きた社会は、きみの生きる社会とはちがっているはずで、そんなどうでもいい価値観をきみに押しつけられなかったし、
きみだってつっぱねたしさ。
変わる常識よりは、変わらない良識ね。そうそう、それでよかったの。
わがままとは、きみが、きみの感じるがままということよ。
ひとつのたましいが、なにかを感じる。それが、悪いことであるわけがないでしょ。
感じるままにどこへ行くのかな、と手に汗にぎってだまって見ているからね。
ただ、すこし、遠慮しすぎるかな。
孤独なきみが思うよりも、人はやさしいから、もっと自分の役に立つことを、人にしてもらって大丈夫だよ。
「迷惑かけたら悪いから」なんて、きみががまんばっかりする必要は、ないの。
きみのからだをけんめいに守ってきた母さんの願い、たまにはきいてください。
今日は、母校の小学校で、運動会をやっていたみたい。
負けずぎらいのきみ、ころんでびりになって、くやしくて、泣いたこともあったね。
今もそうかもしれないけど、いいのいいの、勝ちたいやつには勝たせてやれ。
