心がすさんだり、ささくれたときは、
(どうしてこんな気持ちになっているのかなあ)
と、自分のなかの原因を探ってみるのもいいと思うよ。
意外とすぐに、
(あ、これだな。心のこの部分ががざらざらしている)
というようなところが見つかる。
おろおろ、めそめそするより前に、そのざらざらを先に取っておこう。
心をつるっとした手ざわりにしておくと、明日またおなじようなことが起きたとしても、今度はすべり落ちちゃうからね。
家のなかの水まわりのはじっことか、お風呂場みたいに、心にもよごれがつきやすい場所っていうのがあるのよ。
それは「あ、このへんだな」って自分でわかっておくと、ぱぱっとそうじができるでしょ。
ざらざらしたままだと、そこばっかりに、またよごれがくっついてくるからね。
こびりつかないよう、すてきな音楽を聴くとか、心にひびく詩を読むとか、テレビを観て笑うとかして、
毎晩、つるつるした心でベッドに入れるといいよね。
心のざらざらに気がついてくれる、やさしいだれかというのも探せばいるとは思うんだけど、
その人にそうじをしてもらうよりは、
その人にすてきな花束でもかざってもらうほうがずっといいでしょ。
きみも姫も若いから、外に目が行きがちだけど、こまめな心のそうじも忘れずに。
母さんは、亀の甲より歳の功だから、そういうことはよくやっているんだけどね、
最近はちょっと家のそうじをさぼっておりました(笑)。
きのうの晩おそくに帰ってきた姫が、お風呂場でにわかに使いだした借りものの高圧洗浄機。
(あ。やろうやろうと思っていたんだけど…)
反省して、今日は一日中家のよごれと格闘。
わっ、落ちる落ちる。気になっていたのにほうっておいたよごれが消えて、
古いなりにまあまあ自己満足できるくらいには、復刻。
かたちがいいとか、質がどうとか以前に、つるつるしていると視界があかるいし、やっぱりうれしいね。
きれいな花束でももらいたくなるよね。
