スープのさめない距離で暮らす母は、すこし前まで一週間、二週間、
音沙汰ないのもざらだったのに、このところ毎晩わたしの家に顔を出す。
(おや。さみしいのかな?)
どうせ姫はバイトか遊びで、毎晩ひとりで食べる夕飯、母の分も用意するようになった。
昔は、母が何を考えているのかわからなくて、ちょっと苦手だった。
どちらかというと華やかでお姫さま体質の人だから、
一緒にいると、いやおうなしに自分がめしつかいになってしまう気がした。
「…してちょうだい」
「…しないでちょうだい」
「わあ、いいな。貴女のその服ちょうだい」
とまあ、ちょうだい王国の王妃とでもいうべきか。
苦労もあんまり身につかない、よくいえば天真爛漫な人。
お金があればあるだけ、なければないなりに、毎日、遊ぶ、遊ぶ、遊ぶ。
欲が強いって元気の素なんだなあと、感心しきりだったけど、さすがに後期高齢者突入、そろそろ欲が薄れてきたのかしら。
ぺちゃくちゃ未亡人仲間とのつきあいよりも、娘の顔を見たがるようになったなんて。
(やっぱり、歳をとるとさみしくなるものなのかな)
そんなふうに思いながら、いつもならすぐに仕事部屋に入ってしまうわたしも、
食後は母とテレビを観ながら、リビングのソファでずるずるまったり。
昔は、母とふたりだと緊張して、こんなむつまじい時間を持つこともなかった。
なんとなく、ようやく心が寄り添ったようなこの感じは、
とがっていたわたしが大人になったということなのか。
「…貴女さ」
「ん?」
「今、収入どれくらい」
(どきっ)
「お隣の家、空き家になったでしょう」
「ああ、そうね。ご主人さんホームに入られたみたいね」
「息子さんがたまに窓を開けに来ているけど、売りに出すとき声をかけてくれるって」
「ふーん。なんで」
「貴女、買わない?買ってちょうだいよ」
「…は?」
「4000万くらいだろうと思うのよ」
「…」
「貴女が住んでも、子どもが所帯を持ったら住まわせるにも、いい物件だと思う。ちょっと考えてみてちょうだい」
あ、すごい稼いでいると思われているのかもしれない。逆に、やばい。
種の存続本能も、はんぱない。
「ものかきなんかローンは組めないよ。それに、わたしの年収はね、×××…」
えっと叫んだ母。
「あれだけ日がな1日書いてて?そんな仕事、もうやめてちょうだい!」
今さら遅いつうの。
「…あーあ。お隣の家、欲しかったなあ」
なんでもちょうだいちょうだいすれば手に入ったのは、あなたの夫が働き者で、あなたが大事に守ってあげてたからでしょ。
愛されてたね、お母さん。
すてきな夫婦だったと思うよ。
「貴女、昔から物欲なかったものねえ」
「そだね」
ちょうだい王妃の不肖の娘は、なぜか物には目がいかなくて。
「なんだかかわいそう。年金出たら欲しいもの買ってあげる。遠慮しないでちょうだい。これでもまだ親なんですからね」
「あはは。欲しいもの、そうねえ…」
小さくなった母の肩をさすりながら、考えるふりをしているけど、答えは出てる。
欲しいものはいつだって、手を伸ばせば届く人、だよ。
こんなふうに、届くまでにずいぶん時間がかかることだってあるけれどもね。
ありがとうね、お母さん。
