射精 = 悪の快楽 = 罪悪感 = 女性憧憬(じょせいどうけい) =凌辱願望(りょうじょくがんぼう) |
犯す、汚す、はずかしめるといった凌辱願望は、外見的な乱れのない女性が、快楽の亡者(もうじゃ)のように下品に貪欲(どんよく)に、男性の肉体パーツのうちの男根だけを欲しがり続けた時にこそ、満たされます。
そうしたセックス情報や写真、文章、漫画や映像が男性たちを悦ばせ、良く売れて商売になるので、たくさんの商品や作品が出回りました。
こうして、日本人のセックスは、男性主体の凌辱型となったわけですね。
問題は、それが本当に男性のためのセックスだと言えるかどうか、です。
たとえばですが、10年ほど前、「ポリネシアンセックス」という調和型セックスを提唱した、作家の五木寛之先生の著書が大ベストセラーになりました。
攻撃的なピストン運動をせず、性器結合の感覚を長時間感じ合う、という、コミュニケーション寄りの主旨です。
主流である凌辱型とは真逆の「ポリネシアンセックス」に大きな反応を示し、共鳴してマスコミを盛りあげたのは男性でした。
その後、アダム徳永さんという方が書いた、やはり反凌辱型の「スローセックス」も大ベストセラーで、多数の男性の気持ちをつかみました。
アンデルセン童話の「はだかの王様」に大変よく似た状況なのですが、男性たちも、凌辱型セックスでは満たされなくて、「これでいいのかな」とうすうす気づいていたからでしょう。
ですが。あれだけ多くの男性が支持したもかかわらず、この時の調和型セックスは、まったく浸透しませんでした。
その理由は、女性側の問題です。
当時、本を読んでセックス観を変えたくなった男性に、きちんと応じる女性がいなかったのです。
これまでの凌辱型セックスに慣れてしまった女性たちは、そこに喜びも楽しさも快楽もないために、すでに男性とのセックスに期待を捨てていました。
男性が「ポリネシアンセックス」で凌辱型セックスの虚しさを知り、新たに女性理解を図ろうとした時、女性の間では離婚ブームが始まっていたのです。
皮肉で笑えない話だと思いませんか?
私は、すごく悲しいと感じます。
男性たちも、好きで凌辱型セックスに洗脳され、女性の愛情を得られずに苦しんでいるわけではないのですから。
心と身体を切り分けてしまい、凌辱的行為でしか興奮できなくなった男性たちの心的ダメージは、私自身も経験を重ねるほど把握(はあく)できました。
風俗嬢やAV女優など、職業的経験数を持つ女性に比べれば微々(びび)たる数ですが、
でも、商売ではなかったからこそ、男性の素(す)の姿が透(す)けて見えました。
風俗企業から執筆依頼を受け、数年に渡り内情を密着リサーチしたこともありますが、男性は風俗嬢との性行為では、素になっているようで、まだ社会性を捨て切れないようです。
最終的には、嬢ではなく、自分を気持ち良くしてもらうことに対価(たいか)を支払うという目的があるためですね。
風俗嬢たちは、それに対するサービスや営業を行います。
でも、一般の男女関係はやはりちがいます。
二人のあいだに金銭が介入しないからこそ、男性は真剣勝負で挑(いど)んできます。
その上で、私には、彼らが男性集団社会の中で常に緊張し、不安を抱えた男の子にしか見えませんでした。
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