すっかり歯車が狂った社会のセックス観の中で、もっとも苦しんでしまうのは、いつでもまじめで常識的な女性たちです。
あなたが20代なのか、30代なのか、もっと上なのかはわかりませんが、もしかしたら、次に紹介するA子さんに、よく似た部分があるかもしれません。
彼女が直面した性の問題の本質を見つめてみましょう。
オーガズムキュア実例①前編 〈セックスレス夫婦・A子さんの告白〉 |
このまま女が終わってしまうのだろうか―――。
言葉にするとありきたりです。でも、このひとことの中には、とても重いものが、たくさん詰まっていました。
不安や焦り、みじめさ、悲しみ、怒り、絶望。
私はこの10年のあいだに、ぜんぶ味わいました。
セックスレスの期間は、20年を超えています。
前半の10年は、悩みはしても、苦しいというほどではなかったんです。
あの頃は、まだ子どもに手がかかっていたし、セックスというより、結婚生活全般に悩んでいたせいでしょう。
夫とは職場結婚ですが、男と女って、一緒に暮らしてみないとわからないことが、たくさんありますね。
落とし穴だらけというか。
私の苦しみの元はすべて、夫の思いやりのなさです。
これもありきたりな言葉ですが、それでも、このひとことに尽きると思っています。
次女がおなかに入るまで、夫婦生活は、1.2ヶ月に1回くらいありました。
でも、その求め方もひどいものです。
子どもが起きている時でも、私の体調が悪い時でも、もよおせば迫ってきます。
今は無理だと言うと、「亭主の性欲を処理するのは女房の勤めだろう」と怒りだす。
あきれ果てて身体を投げだすと、ものの数分で終わってベッドを降りる。私は天井を見つめたまま、悔し涙を流す。そんな感じでした。
そういうセックスの貧しさを、教えて正せればよかったのかもしれないけど、私自身、頭の固いほうですし、そもそも、夫は初めての男性でしたし。
それに、家では箸より重いものは持たない、縦のものを横にもしない、そんな夫へのいらだちは、日々山ほど処理しないとならなくて、そこへ行き着く前にクタクタでした。
たまたま、2度つづけてセックスを拒んだら、彼のプライドが折れたんでしょう、それきりです。
もともと、夫はひとりっ子の上、女は男に仕えて当然という家庭に育っているので、小さな王様です。
自分のなにがいけないのかを知ろうという気がないから、歩み寄りたくても、どうしようもない。
私は、周りから言われるような、夫想いの従順な妻なんかじゃなく、色々なことをあきらめていっただけでした。
40歳を目の前にして、それまでになかった変調が身体に現れました。
生理時の大量出血を発端にして、動悸、のぼせ、ホットフラッシュが始まった。
いわゆる更年期症状です。
まさかこんなに早く来るとは思わなくて、驚きました。
ずっと専業主婦だったので、最初はそのせいかと考えました。
ちょうど社会から置いていかれたような気持ちが強まっていた時で、不安や焦りの表れのような気がして。
子どもたちの手が離れるにつれ、家の中が息苦しく思えてきて、ほんのちょっとのパートでもいいから、外の世界に出たかった。
でも、夫はよっぽどじゃない限り私が家を空けるのを許さない人で、説得に疲れて、それもあきらめました。
年上の友人に更年期のことを相談すると、「よかったじゃない。じきに生理があがれば、女が終わって楽になるわよ」と、明るく励ましてくれました。
そんなものかな、楽になるんだと思おうとしたんですが、なんとなく諸手をあげて喜べない。
なにかが引っかかって、腑に落ちなかったのを感じていました。
気持ちの上ではっきりした変化が起きたのは、そのあとに受けた子宮頸がん検診がきっかけでした。
もちろん女医さんの婦人科を選びましたが、なにも考えずに診察台に乗り、脚を開いてから、いきなりドンと突き落とされたような気持ちになったんです。
婦人科の先生なら、女性器を見慣れていますよね。
だから、私の〈そこ〉が、まったく使われていないと見抜かれたんじゃないか。
「あら、おかわいそうに」「身なりは女っぽくても、これじゃあね」
そう思われているんじゃないかと。
鳥肌が立ちました。
そして、検診用の器具が膣の中に入ってくると、その、膣の中にものが入る感覚、押し広げられる感覚に、みるみる涙がこみあげました。
器具の冷たさ、痛み。それから、十数年ぶりに膣になにかが触れ、中にものが入ってくる感覚の、あまりのひさしぶりさ。
それまで言葉にならなかった腑に落ちなさが、はっきりした瞬間だったんだと思います。
私のここは、だれにも愛されなかった。なのに、もうすぐ女が終わろうとしている。
診察台であおむけになって涙を流していること自体も、思いがけなくてショックでした。
その時の悲しみが、日に日に大きくふくれあがっていき、どうしても取り払うことができなくなってしまったんです。
それからは、気がつくと性的なことばかり考えるようになっていました。
といっても、持ち合わせている情報量が少ないですから、よく思い浮かんだのは、10代の終わりに、一度だけ肌を合わせた男性のことです。
当時の私は、セックスした人とは結婚するものだと思っていました。
そういう育ち方をしましたから、優しくて惹かれていたのに、最後の一線は越えさせませんでした。
それが原因だったのかどうか、なんとなく、つきあいが遠のいてしまった人でした。
どうしてあの時、彼を拒んだりしたんだろう。
悲しみが津波のように襲います。
優しいキスの舌のやわらかさ、抱きしめられた時のめくるめくようなときめき。
遠い記憶を必死に探って、空想の中で何度も彼を求めました。
そのうちに、街でハンサムな男性を見かけると、いつのまにか目で追うようになっていました。
それだけじゃなく、その人の裸だとか、私の身体をむさぼっている姿だとか、そんな妄想をする自分が、止められないんです。
果ては、現実にしたい衝動にかられて、こんなことまで考えるようになりました。
ごつごつとしたあの手に触ってみたい。
ワイシャツをひきちぎって、両手で胸を撫でまわしたい。
近づいていっていきなりキスをしたら、どうなるんだろう。
怒鳴られるのかしら、それとも、「セックスしませんか」とホテルに誘われるのかしら。
じっと見すぎて、目が合ってしまうこともあります。
先に目をそらすのは、相手の男性です。
そして、ようやくわれに返ると、つぎの瞬間、痛いほど打ちのめされる。
ああ、私は結局、いわゆる“欲求不満のおばちゃん ”になったのだと。
できもしないのに、出会い系サイトをのぞいてみたこともあります。
ホストクラブのことを調べて、若い茶髪の男の子たちがなにを与えてくれるのかと、げんなりする自分。
情けなくて、みじめでした。
家族の前ではふつうにしなければいけないですから、お風呂に入るたびに、こらえていた悲しみが嘔吐のようにこみあげて、ひとりで泣いていました。
そんなことはつゆ知らず、ニコニコと話しかけて頼ってくる子どもたちを見ても、胸が押しつぶされそうになります。
母親の私が、こんなにふしだらなことばかり考え、しかもそれに苦しんでいる。
後ろめたさではないんです。申し訳なさはありましたけれど。
私がみじめだということは、愛する子どもたちもみじめな子だと、そう思えました。
夫に対する嫌悪感も、自己嫌悪に比例して、さらに大きくなっていきました。
きれいに磨きあげたフロア、さんざん迷って決めたインテリア、大切に守ってきたはずの家が、たまらなく無意味に感じられる。
すべてが失敗だったんだ、と思いました。
一生懸命がんばってきたつもりなのに。なにがいけなかったのかわからないけど、生きていることそのものが虚しかった。
この先の人生になにも希望が見出せないし、私が死んでもだれも悲しまないだろうなんて、自殺を考えたこともあります。
こんなにたくさんの人が生きていて、家族だっている。
なのに、私は孤独でした。