これは、わたしがまだボヤ~とした未熟女子だった頃の、ある不思議な性体験です。
結婚し、1年後に初出産をした、26歳の時のことでした。
その①出産編
出産の予定日が何事もなく過ぎ、わたしは不安に苛まれながら床に就きました。
白々と夜が明けた頃になって小さな陣痛が始まると、はずむように病院に向かい、陣痛の波に身を委ねたのです。
―――11時間経過。総合病院の陣痛室。
全身がくだけ散るかと思うほど激しい痛みが続き、
「ようやく赤ちゃんの体勢が整った」
と、分娩室に移された時には、息も絶え絶えで、
(いっそ死んだ方がましだ)
と、それしか頭にありませんでした。
容赦なく、どんどん強く、短くなる陣痛の波。
「いきんで!いきんで!」
と看護師さんがしきりに指示していますが、いきむ力があるなら使って、一刻も早くお産を終わらせたいのは山々です。
でも、体力は、とうに限界を超えていたのです。
気を失っては痛みで目覚めることを、1分刻みでくりかえし、叫び声を上げる力も使い果たして、津波にもまれる藻くずのように、激痛の渦に巻かるばかりでした。
分娩台に乗って2時間が経ったでしょうか。
骨盤付近が、めりめりと音を立てました。
一瞬、痛みが消えたかわりに、股間から強いオーガズムがかけのぼったのを、混乱する頭が感じ取りました。
せめぎあう痛みと快感に、理性がパニックを起こしていると、からだに奇妙なものが乗り移った気がしたのです。
どこからともなく恐ろしいくらいの力……。
疲れ果てたわたしのからだの力だとは、とうてい思えません。
宇宙からか大地からか、稲妻のようにすさまじいパワーが、一挙に腹部に宿ったのを、たしかに感じました。
日本伝統美術のモチーフに、〈雷神〉という、勇ましい神様の偶像があります。
なぜか、あの〈雷神〉がこつ然と現れ、ぜい弱なわたしの心とからだに乗り移ってくれたようでした――新しい生命を生み出すために。
(なに、これ!?)
ぎょっとするまもなく、わたしのからだは、勝手に動き始めました。
借りものとしか思えないパワーが全身にみなぎり、混乱する理性をよそに、強大ないきみを起こして産道から息子を押し出したのです。
たくましい男性よりも野太く、低く、分娩室に響き渡る大声で、わたしは唸っていました。
わたしの心は、そんな自分のからだから離れて、びっくり茫然としていただけでした。
つるりとした感触と共に、心とからだのすべての激動が、ぴたりと止みました。
そして、沖に戻ろうとする波のように、雷神パワーがするすると引いていきます。
腹部の痛みも、引く波が一緒に連れ去るように、余韻もなく消え去りました。
生まれたての赤ちゃんが、力いっぱい口を開け、この世界で最初の大気を吸いこもうとしています―――。
これがわたしの、初めてのお産の時の、鮮烈な記憶です。
陣痛の、あの極限の痛みは、生んだ瞬間に忘れています。
まるで記憶が消されているように、いっさい思い出せません。
「痛かった」という、言葉の上での古い記号でしかなくなっています。
その一方で、からだに起きた衝撃的な〈雷神降臨〉の経緯は、今でもこうして、鮮やかによみがえらせることができるのです。
雷神という神秘的な表現をしましたが、本当に、神がかった、超常現象のようにしか思えませんでした。
だから、その後大きくなった息子が「生んでくれてありがとう」などと言うたびに、ついとっさに、その言葉を否定してしまうのです。
「君は母さんではなく、天地の力によって生まれてきたのよ。本当なのよ」
と。
医学的知識を多少身に着けた今なら、この宇宙的なパワーが、脳の司令による全身レベルのエネルギー集約だったとわかります。
その総司令官が、オキシトシン細胞のキシーだったということも。
そして、この出産の瞬間のあと、キシーは、さらにわたしに、生涯忘れることのできない神秘体験をさせることになったのです。
その②授乳編
わたしは、無事に赤ちゃんを産み終えることができました。
けれども、テレビやドラマで見ていたような、喜びが起きなかったのです。
数秒前にわたしの体内から生まれた赤ちゃんは、へその緒を切られて、看護師さんの腕に抱かれていました。
元気な産声が、分娩室に響き渡ります。
13時間に渡る陣痛が終わり、わたしの意識には、どこか作られたような冷静が戻ってきていました。
仰向けになったままの胸元に、泣いている赤ちゃんを乗せられました。
けれども、感動すらわかない虚無感にとまどいました。
(だれだろう、この赤ちゃん。わたしの子として生まれてきたのはまちがいないけれど…)
ほんの数時間前まで、わたしは、ただのわたしでした。
赤ちゃんを産み終えても、あまり変わりません。
(産めば愛せるのかと思ったのに……そう簡単に母親の気持ちにはなれないんだな……)
実はわたしは、結婚一年後のこの時点ですでに、うまくいかない夫婦関係に絶望感を抱えていたのです。
そのため、母になった喜びよりは、不安のほうが大きかったのかもしれません。
もう生活から逃げられない悲しみや先行きの不安が、産後の率直な感想でした。
それから二時間近くかけて、点滴や縫合といった処置をしてもらい、分娩室から病室に戻りました。
赤ちゃんを産み終えたのは、夕方近くでしたから、19時を過ぎていました。
ベッドテーブルの上には、もう冷めてしまった夕食が載っていました。
焼き魚と野菜の煮物で、量だけはふだんの倍もあります。
元々食が細かったので、こんなにたくさん食べきれるわけがないと思いながらも、ひと口箸をつけると、無意識のうちにそれをぺろりと平らげました。
自分でもびっくりしました。
22時に夜食の果物とサンドイッチが出て、それも食べ、家族が見舞いに置いていったロールケーキも一本まるまる食べつくしてしまいました。
そして、その晩は泥沼に沈みこむように眠りました。
翌日は、数時間おきに新生児室へ行き、息子に初めての授乳をしました。
けれども、母乳はなかなか出ませんでした。
赤ちゃんを抱いても、やはり感動もなく、人形のように、言われるまま乳首を吸わせるだけでした。
前日に引きつづき、食べても食べてもおなかがすきました。
出産で使ったエネルギーは計り知れなくて、わたしの本能がわたしのからだを必死に守ろうとしているのをまざまざと感じます。
赤ちゃんどころではなく、ひたすら眠り、山のように食べることのくりかえし。
死にかけて、生き長らえようとする動物のようです。
晩の夜食では足りないと困るので、母に頼んで菓子パンを買っておいてもらっていたのですが、深夜0時を過ぎると、またしても空腹を感じ、わたしは戸棚からパンを出して食べ始めました。
砂糖むきだしの甘味が口に広がると、ほっとすると同時に、突然、頭の奥が無音になった気がしました。
そして、静かになにかが響きます。
サー……。
なんだろう、と思うまもなく、わたしは産後初めて、突如として息子恋しさにぼろぼろと泣きだしたのでした。
大きな総合病院でのお産で、母子別室でした。
明日の朝まであの子に会えない。
授乳時間になるまであの子を抱けない。
今までまるで感じなかったそのことが、胸を引き裂くばかりの悲しさとなって押し寄せ、わたしはなにがなんだかわけがわからず、とまどいました。
この悲しみはなに?
この狂おしい恋しさはなに?
あの子に会いたい。
抱いてやらなくちゃいけないのに。
朝が来て、赤ちゃんを抱いてしまうと、うれしいにはうれしかったのですが、気持ちは意外に穏やかでした。
(夜中の、あの錯乱に近い感情はなにかの思い過ごしか、記憶違いだったの?)
ただ、その日ようやく、わずかな母乳が出ました。
母子別室は母体の疲労回復のためであり、わたしの産褥は良好で、もう同室でもかまわないと診断されました。
そうしてもらうことになった、3日目の晩。
買いものカートのようなベビーベッドから、自分のベッドに息子を移して寝かせました。
わたしは添い寝するように身を横たえます。
出逢ってからまだほんのわずか。
接触したのはトータルで6時間程度でしかありません。
わたしの子だという情みたいなものを感じようにも、ふしぎさや疑念のほうが先に立ってしまいます。
どこからか湧いてきたか、降ってきたかと思うくらい、ちっとも見覚えのない赤ん坊。
言葉も交わせず、心を通わせるすべがよくわからないのです。
息子は他の新生児に比べるとひとまわりも小さく、顔の直径は8センチ程度しかありませんでした。
つぶれてしまいそうにやわらかな体をおそるおそる抱き上げ、胸と腕で包み込むと、
(…この子は到底生き物であり続けられないんじゃないか)
と、そんな切なさが、ふとよぎりました。
その瞬間、それがやってきたのです。
……ぱん……。
なにも考えていない、黒っぽい闇夜のような頭の中いっぱいに、巨大な花火のスターマインが打ちあげられたようでした。
なにかがはじけ、まばゆい金の粉が満面に広がり、頭の中をゆっくりと流れ落ちていきます。
サー……。サラサラサ……。
生まれて初めての、壮絶な快感でした。
快感といってもからだが感じているのではなく、100パーセント頭が味わっています。
やさしげに訪れたのでもなく、ぱんと破裂して降りそそぐように、いきなり襲ってきました。
至福。恍惚。
いえ、壮大な広がりを持つ歓喜です。
激しい渦となって押しよせ、わたしを巻きこむ歓喜です。
意識がどろどろにとろけていくようでした。
はてしなく甘く、優雅に。
そして、その時は、前回とは桁違いに長く続いていました。
何秒何分どころか、1時間、2時間、さらに。
眠りと気づかないままいつのまにか意識を手放し、母乳を欲しがる息子の泣き声に目を覚まして乳首を吸わせると、またその甘美な感覚に襲われます。
夜通しくりかえされました。
残り3晩、まるで麻薬に侵されているかのように、わたしは夜な夜なその金と黒のふしぎな場所へ連れていかれ、至福の快楽に涙を流していたのでした。
退院して家に帰ると、なぜかそれはもう起きませんでした。
すでに、息子はかけがえのないわたしの生命となり、だれがなんといおうと、
(この子に出逢うためにわたしは生まれてきた)
(この子を愛し守り抜くためなら、どんな困難だって耐えられる)
と、疑いなく思える、ひとりの母親に変身していたからです。
出産・授乳とオーガズムの成分は同じ
この体験をした20年後に、わたしは、まったく同種の鮮烈な快楽を、男性とのセックスで体験することになります。
そのオーガズムはまさしく、授乳で味わった神秘体験の再現でした。
身も心もとけあう感覚を、おたがいにはっきりと確認し、その後も信じあい、想いあい、守りあうという、それまで精神論だったものが〈現象〉として存在することを知ったのです。
ふしぎなことに、母子間の以心伝心によく似た、奇妙な言語外コミュニケーションも起きるようになりました。
これから相手が口に出そうとしていることが、頭の中に響き渡ったり。
まったく同時にLINE送信をしあう、体調不良やケガを予知する、などです。
ともあれ――。
サー…サラサラ…。
出産。オーガズム。
究極の性体験でわたしの頭に流れたそれが、「オキシトシン」という内分泌細胞物質だと知ったのは、初出産の神秘体験から、25年が過ぎてのことでした。
・人と人との絆を生みだす
・やすらぎと幸福感をもたらす
・心の通うふれあいで分泌する
・生殖年齢を過ぎた男性の脳および免疫細胞の劣化を防ぐ
・痛みを緩和する
こうした魔法のようなホルモンとして、医学界でも注目され、研究が進み始めていると教えてくれたのが、iPS細胞でノーベル賞を受賞した、京都大学の山中教授でした。
NHKの番組でしたが、画面の向こうの解説を聞きながら、うれしさで胸がはちきれそうになりました。
なぜなら、わたしは長らくセックス関連の文筆業をさせていただきながらも、いつも心がどうにも苦しくてしかたなかったのです。
セックスイコール興奮か背徳が常識の世界。
愛ややすらぎと結びつけることは、どこの媒体へ行っても許されません。
ですから、それからは、心が苦しくなる仕事は請けないようにして、オキシトシンというホルモンをもとに、あらゆる性の謎をひもとくことに夢中になり……。
今ようやく、こうしてあなたにお伝えすることができたというわけです。
オキシトシン細胞の魔法のパワーは、これから医学界でどんどん解明されて、わたしたちの未来をやさしく守ってくれるでしょう。
でも、それが実現する前であっても、キシーはもうすでに、あなたの中にいます。
大切なだれかにめぐり合い、ふれあって、いつまでも寄り添う夢をかなえてくれるよう、出番を待っています。
性はどこまでいっても人と人が愛しあうことにほかなりません。
セックスはどこまでいっても人と人が想いあうことであり、それによって細胞レベルで人の心とからだを生涯守ってくれる、生命のおくすりです。
ワン・パートナーと長く愛しあうこと。
そして、叶うなら自然分娩を選択し、経験すること。
この二つの条件は女性の脳を変え、すこやかな母性を育み、からだにはオーガズムというすてきな悦びをプレゼントしてくれます。
ただひとりの人と信じあい、守りあい、陽世界、陰世界をともに楽しみながら長く連れ添う。
幸せな恋愛とセックスの成功法則は、どこまでいってもここにあると、わたしは揺るぎなく信じています。
