こんにちは。
糸井重里さんの「ほぼ日新聞」を読むのが大好きなのですが、
なぜかというと、言葉がぬくぬくしていてゆるくて、心地いい言葉のお風呂に入っているような感じがするからなんですね。
「いいなあ」と。
「ずっとこの温度感のなかにひたっていたいわ」と。
ずっと性とか愛とかそういったものを追っかけてきたわたしですが、
めざすはこの「ぬくぬく感」でした。
ハァハァギラギラするような性もあるんでしょうが、そういうのはニガテで。
疲れるし、続きませんから。
もっとぬくぬくゆるゆるしていて、ほろっと楽になってもいいような、そういう男女のむすびつきに憧れましたね。
おたがいに外では建前みたいなものがあって、おたがいに社会生活にちょっと疲れていたりするわけじゃないですか。
そういう疲れを洗い流しっこするのが性だといいなあと思っていたんですが、
いやあ、これは亜流なんですね。
世の中の人はもっと違うものを性とかセックスに求めるみたいで、
そろそろお歳のせいか、合わせたり、理解を深めてもらおうとするのにくたびれてきたわたしです。
ほとんどは男性向けマスコミメディア、たまに女性向けメディアのお世話になってきたのですが、
「セックスの話をするならはよ興奮させろや」みたいな世界ですから、これはもうお呼びでないし、言葉が出なくなってきちゃいました。
それでも10年くらいはいろいろやって、いろんなことがあり、いろんな人たちに出会って、いろんな努力もしてきた感じなので、
「もういいや」と。
そうすると、今まで抑えてきたものがむくむく出てきたりするんですね(笑)
「あ、こっちのほうがいいや」と。
というわけで、「できれば言いたくなかったけど」などとほくそえみつつつづるコラム
≪やっぱりオトコは馬鹿である≫
次回より始めます。
失礼なタイトルですね。
すみません、女なのでどうしても、そこは。
たとえば、わたしを好きな御仁に「馬鹿だなあ」と言われると、意外とぬくぬく感にひたれたりしました。
わたしを好きじゃない御仁に「馬鹿だなあ」と言われることはあまりなかったですね。
関係性を作れるか作れないかの違い、やっぱり抜きにしたら、性をほとんど語れない気がしています。
大事にしたいとか、守りたいという気持ちになった時に生まれるのが「愛」だったりして、
それは一方通行ではないものだと思うんですよね。
おたがいに「おいおい馬鹿だなあ、もう」「いいわ、ここはまかせて」みたいな気持ちになって、
一応がんばってみたもののイマイチだったとしても「あはは」と笑いあったあとに「ありがとう」と口から出ちゃうような。
セックスも同じだと思うのですけれどもね。
率直に怒ったりもするだろうし、ぬくぬくしていただけるかの自信もありませんが、
自分なりの視点で見てきたことなどを適宜更新していきます、よろしければホソボソとおつきあいください。
「馬鹿」については、「ほぼ日新聞」でみうらじゅんさんが同感なことをおっしゃっていましたので、
よかったらご一読を。
「(愛)を(バカ)に一括変換」
です。
http://www.1101.com/oyakobaka/jun/2016-09-29.html
御意( `ー´)ノ
