先日、本橋信宏著『全裸監督 村西とおる伝』シンポジウムに行き、しみじみ、

(オトコってのはずうずうしい生き物だなァ…)

と感じてきたしだいである。

(オトコは)というより、オヤジは、か。

軽口ご容赦いただき、以下も略敬称で失礼するが、

シンポジウムは、AV監督の村西とおる氏を中心に、本橋信宏氏(作家)・松原隆一郎氏(東大大学院院長)・宮台信司氏(社会学者)ら識者がからんで、AVやエロティシズムを論ずるもの。

レジェンド・村西監督の語りは洒脱で秀逸、話術というなら匠の域に入っているするどさで、聴衆をぐいぐい自分の世界に惹きこむ。

くまないサービス精神と性へのパッションをとっぷり味わう2時間であったが、

市井の婦女としては、

(出たよ…チェッ)

と思う点もいくつかあった。

女=AV・キャバクラ・テレクラ・風俗

AV・風俗にしろ、根本的に御仁向けだから無粋にギャーギャー言わないつもりであるものの、

どうもオヤジが語る女といえば、お水か風俗嬢はたまたAV女優というくくりにはいいかげん、

(…ゲップ)

と、食傷を隠せない。

スケベでエロい旨そうな女がそろっているったって、彼女らは食うため生きるためにまじめに仕事しているわけである。

私生活ではかよわいひとりの女であるのに、公私混同して

「あのコは根っからのドスケベ」

「このコはヤリマン」

などと、世にもウレしそうに浮き足だっている。

オヤジたちは若い頃、マスコミでも一時代を築きあげた。

強力情報発信者だったわけで、彼らが流布しまくった女像は、ノーギャラでふつうの御仁とふつうの関係を持つふつうの婦女にとっては、かなり迷惑なアイコンだったのではあるまいか。

8~90年代にかけて隆盛を誇ったオヤジ文化は、AV・キャバクラ・テレクラ・ヘルスにノーパンなんとか等々、性風俗を一気にもりあげた。

それはそれで

(たいしたパワーだワ)

と感心する。

(好き放題やりましたね)

とも思う。

ただ、ワーワーと石槍かかげて打ち倒したマンモス肉を買って食らった、市井の御仁たちはどうか。

たいていは、

(ひゃあ、うめえ)

と耽溺しただろうと思われる。

(こここ、これが女だ!)

と、スパークしたドーパミン共々、鮮烈な女像が脳の前頭葉あたりにジュッと焼きついただろうと想像するのである。

そうすると、妻なり彼女なりとの房事は、マンモス肉に対する生イモくらいに無味になるのも道理だ。

ノリが悪くてちっともサービスしてくれない上、あーだこーだわがままでわからずやでめんどくせえな、と感じるわけだ。

オツトメ感まる出し、もしくは性処理役、にされる婦女たちも

(なにが楽しくてこんなニワトリセックス…やめたやめたッ)

となる。

とかくプロ好きのオヤジおよびカネモチ御仁たちは、気づいているのかいないのか…サービス慣れしたおのれの技量のなさに。

「ひとり寝さみしくないの。今夜オレとどう?」

「けっこうです。あなた奥さんいるでしょ」

「妻はセックスがきらいなんだよ」

って、おまえさんとのセックスがきらいなだけである。

 女がイヤだといったらイヤ

村西氏いわく、

「エロティシズムとは、裏と表」。

それはわかる。

男女は陰陽すなわち裏表みたいなものであるから、互いに足りないものを埋めたくて求め、惹きあう。

村西氏は、きちんとしたお嬢様や奥様を撮影する時に、

なんとか「お〇〇こ」と言わせようと奮闘したが、

「セックスも撮影もいいです。けれど、そんな言葉だけはわたし死んでも言えませんッ!」

と、ガンと抵抗されてしまうエピソードを語った。

これには、個人的に大きくうなずいた。

仕事柄、セックス・性談義を御仁とする機会が多く、彼らと同じ淫語やワイ語を使って話すことはあるが、それらの言葉はわたしも本来はきらいだからだ。

べつにお高くとまってスカしているわけじゃない。

元々デキが良くもないのを必死にイイトコ見せようとしているのに、使いづらい言葉をイヤイヤ使って逆媚びみたいなことをすると、ものすごいストレスになる。ひとりになった時に落ち込む。だからイヤなのだ。

文字に書くことはもっとできずに、ずいぶん仕事を取り損ねてきたという、使えないものかきである。

そういうわたしが房事で「お〇〇こと言いなさい」なぞリクエストされたら、どう反応するか。

「ほーら出た!なんでそんなこと言わなきゃいけないのッ。どんな理由があるのか聞かせてよ。ねえ、わけを言ってみてよわけを!」

と、イラついて詰め寄り、

「興奮するから?自分が、でしょ。わたしがイヤがろうとどうでもいいのね。自分が良ければいいのね。だいたい、そんなこと言わなきゃ興奮できないなんて、わたしはいったいなんなの。なんのためにここにいると思ってるの…答えて…答えなさいよ、どうなの、エッ!」

と、逆興奮して、相手をだまりこませてしまうだろう。

御仁はだまりこむとやっかいだ。

ベッドの上は凪のようにしんと空気が止まり、冷えこんで、「今日は帰るわ」なぞ言い出されるかもしれぬ。

着替えて出ていく後ろ姿に、

「わたしまちがってる!?おかしいのはどっちよ、よく考えて!返事もできないの。もういい、家帰ってAV観るなりエロゲーするなり勝手にしてッ!」

と、マクラで殴りかねない。

女がイヤだと言ったらイヤなのに、どこぞのエロ情報をひっぱってきて

「もっとキモチよくなるから」

だの

「調教してやる」「開発してやる」

だの、大きなお世話だ。

(コッチになにかさせずに、おまえさんの実力一本でもくもくとだまって開発してみろッ)

と思わずにはいられない。

それにしても、

(はて。なんでそんなにお〇〇こ言わせたいわけ?)

わたしの興味はソッチである。

婦女もセックスで解放されるものはある。解放感はむしろ、肉体的快楽よりも先にくる。

ホントはイマイチでも「アー!」とか「イー!」とか叫ぶのも、サービス演技もさることながら、家でもカフェでも公園でもできないことだから、

(とにかく今のうちしか叫べないワ!)

と、なにかモトを取るような思いで叫んでいるのではないだろうか。

「もっとありのままの自分をさらけだすんだ!」

という意味合いのオトコ発信も多いが、

べつにむりくり下品にプロデュースしてくれなくても、解放するという点では、ちゃんと自分でやるからご心配無用だ。

そんなことより、

「ちゃんとしっかり食べてるかい」

とか、

「困ったらいつでもオレに相談するんだよ。いじっぱりだから心配だなァ」

とか、

あるいは実践的に、しっかり信頼印の「けっこうなオテマエ」を見せてくれよと言いたい。

女を下品にさせたがる御仁たちは結局、相手と自分と横並びにしたくてしょうがないのだろう。

男と女がちがう生き物だということもわからない。

わかるととたんにビックリして逃げ出す。

これが、エロティシズムの裏も表も知らぬ、ということだ。

エロごときでなんで死ぬ??

どうしてもお〇〇こ言わないお嬢やマダムに、しかたなく笛をくわえさせ、キモチいい時に吹かせたという村西氏のウィットは、やはりさすがなのである。

一事が万事で、洞察力と思いやり、人へのリスペクトをフル回転させる強烈な対応力が、ありとあらゆる鉄壁を崩して生きる伝説の人物へといたらしめた。

良いも悪いも赤の他人の意見に染まる人間が増えている今、

「自分のアタマで考えろ!」

「自分のカラダで感じろ!」

という大事なメッセージが、この本には、もっとたくさんあふれていることだろう。

前科7犯借金50億という村西氏の人生は、

(ちょっとは人の意見に染まったほうがよかったのかも?)

といった、まともな思考をぶっ飛ばす気迫に満ちている。

迷惑なずうずうしさで老害呼ばわりされはじめたオヤジ世代の顔役が、熱いオトコっぷりで名誉挽回した一幕。

ずうずうしさはエキサイティングなのである。

実は、繊細さの裏返しでもある。

シンポジウムの最後、質疑応答で、いい質問を投げかけてくれた御仁がいた。

「今後、AIの躍進は人類のエロティシズムに影響を及ぼすと思いますか?」

これに対して村西氏が、

「ちゃんちゃらおかしいですね」

と、答えた。

「AIには生への希望と死への絶望がない。すなわち感動がない。AIがエロティシズムや感動をクリエイトできるわけがないのです」

同感。

これから社会の機械化、IT化が進めば進むほど、性はあらためて重要な役割を見直される時代がくるのではないか考えている。

(ただね…やり放題したオヤジエロの後始末が、相当時間かかるワ、こりゃ)

全般を通して、村西氏が小気味よく語った表裏のロジックの核は、死と生だった。

(やっぱりな)

アリストテレスに始まってレオナルド・ダビンチ、フロイト、カント…エロスに魅入られた頭の良い御仁たちは、たいていみなこれを言うからである。

(…イノチかけてどうする。エロごときで)

と、わたしは思う。

(オトコだなァ)

と、ほくそ笑む。

わたしもそうだし、周りを見ても、生きることを怖がっていても、死を怖がっている婦女は見たことがない。

女のエロティシズムは生への希望の中にある。

やたら死や絶望に引きずられる御仁たちと性のバランスを取れる粋な婦女が、もっと増えてくれるといいのだが。

 

まだ未読。楽しみな本~♪

 

 

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2016 Sumire Mizuno

〈性の浄化〉をがんばるスミレママを
いいね!で応援しよう☆彡

Twitter でスミレママをフォローしよう!