男の子に、性的欲求の抑制を覚えさせる社会教育、紳士教育は、世界の国々で行われてきました。
男性は、行動目的が愛と正義に向けられたときに最大の自己能力を発揮することを、メンター(師)となる大人が知り尽くし、導いてきたのですね。
ところが、今の日本のように、男性社会原理が崩れ始めた状態では、ちょっと大変です。
若い人たちがついてこれずに大企業がぐらつき、労働生産性は落ちくぼみ、婚姻の難易度が跳ねあがって、教育もサービスも混乱のさなかです。
陽世界と陰世界は表裏の関係にあり、影響しあっています。
陰世界も、性の多様化が叫ばれ、「あれもアリ」「これもアリ」「性は人それぞれ」の自由思想が進んでいるようですが、そのわりに幸福度は少しも上がっていないのではないでしょうか。
性の多様性は、それが真実だというよりも、生き苦しさの表現の一端にすぎないとわたしは感じます。
セックスと愛がバラバラになってしまった、心とからだの苦しさです。
情報過多でセックスの価値が下がり、愛や正義とも切りはなされた状況では、人の心身バランスは、逆に取りにくくなくなります。
男性は陽。
女性を守り、喜ばせたい本能の持ち主。
女性は陰。
守られ、喜ばせてもらうことで男性に生命力を与える存在です。
性の法則は、このようにとてもシンプルです。
悠久の陰世界で、この法則が変わらずにきたのは、人のからだの成り立ちそのものだからです。
夢のようなセックスをしたいと願っているのは、男性も女性も一緒です。
自分の性やセックスで傷つきたくないのも、一緒です。
ただ、何度もくりかえしてしまいますが、現代にあふれるアダルト情報は、そのためのノウハウを教えるものではありません。
夢のようなセックスを求めてさまよう男性性の軌跡でしかないのです。
思春期のバソプレシン大分泌時、急激な攻撃性や警戒心が芽生えて、男の子の心は大荒れになります。
もちろん、性的欲求も強まり、理性と葛藤しながら、性欲抑制のためにひとりぼっちで闘います。
嵐のように自分のからだに吹き荒れる性欲が、がまん、抑制を要する悪い欲求だと、外部情報からも、自分の内面からも感じるのでしょう。
凌辱的なアダルト情報や、快楽をむさぼる美しい少女の姿などを見聞きするたび、それまで夢見てきたヒーローとしての自分も崩れていきます。
この時期、悪の欲求が生涯つきまとうという事実により、喜びや自信に勝る精神ダメージを受ける男性は、少なくありません。
けれども、射精は生理です。
そこにいったいなんの罪があるでしょうか。
あるとしたら、罪はないと教えられなかった大人たちの知識不足です。
大人にとってもまた、性は後ろめたい悪の快楽だったからです。
性・セックス・快楽につきまとう罪悪感、背徳感、羞恥心は、男性のほうが根深いのです。
親が子を愛し、守るように。
人が性の幸福を実感するのは、肌のぬくもりという愛のバリアで包まれ、身も心も外界から守られている時です。
男女の違いなく、おたがいに幼児期以前のオキシト感(オキシトシン分泌時のやすらぎと肯定感)を、無意識に求めていたことがわかります。
その延長線上に、大きな性の快楽が待ちかまえています。
世の中にあふれかえる興奮材料で、いくら心とからだをパンパンにしても、現実にぬくもりを実感することはできませんし、視覚や観念で異性を理解したつもりでいると、性の法則に添わないことが多々あります。
性器いじりや荒々しい結合がセックスではないのです。
また、ひわいで自堕落な行為だという常識に、染まる必要もありません。
自分のからだ。相手のからだ。
ふたつの完成された自然に敬意と誇りを抱いて、「身も心もひとつにとけあいたい」というピュアな気持ちでいれば、なにが罠でなにが純愛につながるかは、知性で見分けることができるでしょう。
男子は女子を守って喜ばせたい。
女子は男子に守られて感激したい。
これが性の法則。
オキシトシンオーガズムは《感激のビッグ・バン》ね。
エッチのときは正義のヒーローとお姫さまの関係に戻ろー。
ボクが手助けするよ♪
