性と愛のしくみをお伝えしてきた当連載「オキシトシンオーガズム」、最後の章になりました。
たくさんの情報を詰めこみましたから、疲れてしまったかもしれませんね。
陰世界の旅路はとても長くて、だれもが一生歩きつづける道ですから、疲れないよう休み休みでだいじょうぶ。
あなたがすてきな男性と出逢いたくなったら。
大切に育てたい恋をしたら。
性や男女関係に疑問を感じたら。
また思い出して、読み返してもらえると、うれしく思います。
さて、この章では性の医学から離れ、わたしが最も伝えたい、女性たちへのメッセージにしぼっていきますね。
「大人の恋」という言葉を、あちらこちらでよく見聞きしませんか?
せつなさの入りまじった、とびきりすてきな恋。
そんな憧れをつい感じるフレーズです。
そこには、どこか抑制の働いた、すべてを満たそうとは望まない、小さな痛みの気配がします。
胸の痛みをぐっとこらえて微笑むのが大人のいい女……女性は、なぜかこう感じる本能があります。
(本能っておおげさでは?)
と、思うかもしれないのですが、出産を前提に作られている女性の心とからだの、本能的な嗜好です。
たとえるなら、本能がコンピューターのOS(オペレーション・システム)だとすると、女性はそこに初めから「痛みがまんソフト」が組み込まれているのです。
母性、と言えばわかりやすいでしょうか。
実は、胸の苦しみが伴う「大人の恋」に憧れを抱くのは、100パーセントと言っていいくらい、女性です。
男性はこの言葉にピンとこないし、想像したこともない人がほとんどでしょう。
充分に大人と呼べる年齢になっていて、女性に恋をしていたとしても、それが熱烈であればあるほど「少年の恋」。
むしろ、年齢がいくほど、恋愛では「少年」に逆行していきます。
若いうちのほうが、好きな女性に対してクールな大人のふるまいをしようと抑制的ですが、あなたのように実際の恋愛で「痛みをじっとこらえる」力はまだありません。
すぐに折れてしまいますし、そうなる前に離れていきます。
これも、裏と表、陰陽の性質をもつ男女の大きな違いです。
陽は現実世界、社会活動の意味でもあり、男性は仕事や肉体鍛錬、クリエイティブ活動では、持ち前のがまん強さを発揮します。
ストイックで、痛みにも強いところがあります。
ここで、
(自分は大人でちゃんとした社会の一員だ)
と、自分で認められるまで、ひたむきな努力を続けます。
その裏側である性世界では、がまんすることが苦手で、もろいのです。
日常とは正反対に、痛みを味わうべき世界ではないのですね。
女性は陰ですから、現実では、がまんよりもうれしさや心地よさを追い求めます。
一方、性の世界では、(つらさを味わってもふしぎじゃない)と、受け入れる母性が働きます。
いざそうなっても逃げ出そうとはこれっぽっちも考えず、ひたすら耐えようとしてしまうのです。
母性とは、元々は出産用の「痛みがまんソフト」です。
苦しみに耐えることに美しさを感じさせたり、逆に、性に苦痛がともなうという潜在的な恐れを女性に抱かせるものでもあります。
たしかに、激しい痛みを乗りこえる出産には、美しい感動が伴うもの。
お母さんとして、無心に子どもを育てる女性の姿は、だれが見てもすてきですね。
でも、お産でもない恋愛場面から母性を発揮して、女性が何かをがまんする理由はありません。
性が生殖システムであるために、恋や恋愛関係、セックスといった一連の性行動に「痛みがまんソフト」が稼働してしまうのですが、そんなことを男性はつゆとも知りません。
自分と同じように、ふたりの時にはなんの無理もせず、楽しさや喜び、快楽に突き進んでいると思っています。
抑制を効かせた「大人の恋」は、ドラマの中だけのお楽しみにして、あなた自身は、心とからだをのびのびと解放した幸せな性を、これから手にいれてほしいとわたしは願います。
(いいえ、もっと大人にならなくちゃいけないの)
(無理。あきらめてる)
(この歳になって今さら性や愛なんて)
こんな声なきメッセージが、心の奥底から聞こえてくるでしょうか。
この声、いったいだれの声なのでしょう。
あなたのほがらかな笑顔や、無邪気にはしゃぐ少女のような喜びに、水を差す人は誰ですか?
あなたの内なる苦しみや孤独を喜ぶ人など、この世にひとりとしていないのです。
わたしもそうでしたが、性的被害を受けたということでもなく、言われのない性的劣等感や嫌悪感、生理周期によらない孤独感をふくらませる最大の要因は、自分の母性との葛藤です。
やさしさを当然と思われたり、喜んでもらえると思った努力があっさりスルーだったり。
逆にどんどん要求されて、必死に応えているうちに、身も心もボロぞうきんのようにくたびれてしまう……。
幸せそうな恋やセックスをしている他の女性たちがまぶしくて、こんなに傷つくばかりなら、人生なんかさっさと終わってほしい。
わたしも、いつもそう思っていました。
母性の強さは早くから自覚していたために、男性的に生きる覚悟もつかず、女の落ちこぼれだと自分を責めながら苦しんだ日々を、よく覚えています。
母性には、取扱説明書がありません。
人にやさしくすること、思いやることとよく似ているので、性経験のまだ浅い女性にとっては、実はとてもやっかいです。
愛し愛されること。
それは、大きなひとつの夢のかたまりのように感じますが、冷静に見ると、まるで裏と表のふたつの夢が重なりあっています。
愛することと、愛されること。
両方のバランスが取れると心とからだは安定し、やわらかみのある自然な女性美が、香るように花開いていきます。
でも、どちらの比重が大きすぎても、心が苦しくなったり、からだに不調が起きてしまいます。
女性は陽である現実世界で、周囲の人に対しても、「先読み」「気づかい」といった多くの愛を使っています。
それは、心とからだにあらかじめ、母性という「痛みがまんソフト」がインストールされているため。
このソフトの取り扱いを知らないままだと、愛し愛されることのバランスが崩れて、心がこわれたシーソーのように激しいアップダウンをくりかえすことが多々あります。
まじめでがんばりやの女性ほど、陰世界で愛の原液を補充することが、とても大切になってくるのです。
あなたがもし、
「愛したい」
「愛されたい」
この心の葛藤を止めることができないで、だれにも相談できずに苦しいのなら。
あるいは、いつも誰かのためにがんばっていて、満たされているつもりでいても、孤独を感じるのなら。
「痛みがまんソフト」が稼働しています。
お産以外では使わなくていいのです。
アンインストールすることはできませんが、取り扱い法さえ知れば、これほど人生をゆたかにしてくれる機能もありません。
まずは、母性の気配をあなたの心の中から消し去っていきましょう。
そのために陰世界へ行き、近い過去まで記憶をさかのぼっていきます。
すると、遠くに小さく見えてくるものがあると思います。
見覚えのある、だれか。
ひとりぼっちの女の子です。
そう、「もっと愛されたい」と泣いている、少女のあなたです。
