仕事をもつ。家庭をもつ。子どもをもつ。
どんな大人になっても、いくつになっても、男性であれ女性であれ、心の奥には幼いままの自分がいます。
日々の暮らしではめったに思い出されませんが、現実の裏側である陰世界に、いつでもかならずいるのが、なつかしいその子です。
心の奥底で、ひとりぼっちで泣いている少女。
7歳頃のあなたです。
目に見えてからだが変化する、思春期の性の目覚めよりも数年早く、目に見えない女性性が芽生える年齢です。
かわいそうに、なぜ少女のあなたは泣いているのでしょうか。
「さみしい」からです。
「もっと愛されたい」から。
だれに?
「お母さん」に、です。
自分の性と向きあえない、あるいはセックスにコンプレックスを抱く女性は、大半がこの時期の母娘関係のひずみから、その種を生じさせています。
お母さんは、どんな存在だったでしょうか。
やさしくて、たのしくて、あったかくて、おもしろくて?
「大好き」を通り越して、思い浮かべるだけでドキドキしたかもしれません。
いつも忙しそうで、近寄りにくかったかもしれません。
目の前で見た泣き顔にショックを受けたり、イライラと怒鳴られてばかりいたり……。
いずれ、どんなお母さんであっても、少女のあなたは、心から深く愛していました。
それは、それまでのような、「もっとお母さんに愛されたい」という無邪気な欲求を抑えつけるもの。
そう、母性の芽生えです。
もっとも身近な人である、お母さんに対して、ソフトが試運転を始めたのです。
飛びついて甘えたい。
もっと話を聞いてほしい。
もっと抱っこされたい。そばにいてほしい。
でも、がまんしました。
困らせたくない。
お母さんがかわいそう。
助けてあげたい。
少しでも役に立って、喜ばせたい。
幼いなりに、一生懸命にお母さんを「守っていた」のです。
