今、あなたはお母さんにどんな感情を持っているでしょうか。
この問いかけに、「好きじゃない」「嫌い」「愛せない」と心の底で感じる女性は驚くほど多いのです。
そうした女性は、今でも近寄れば傷つけられてしまうので、なるべく顔を見ないですむ生活をしようとします。
たまに恋しくなって会いにいっても、やっぱり傷つけられ、また距離を置きます。
逆に、身近にいて、いい関係を築けている女性もいます。
もしもあなたが後者のケースであっても、いい母娘関係のために努力しているのは誰かを、あらためて見つめ直してみると……。
お母さんではありませんね。
あなたです。
もっと愛されたかった欲求をあきらめ、愛されなかった悲しみを封印することにより、お母さんを肯定し、愛しています。
それはそれで不思議ではなく、むしろ、あなたの理性と知性の成熟を証明する賢明な努力です。
ただ、ここで大事なことは、お母さんはあなたが初めて愛し、初めてあなたの心を傷つけた人だという不変の事実です。
今でも払拭できずに距離を置いていたとしても。
悲しみを受け入れ、お母さんを許せたとしても。
ときおりおそわれる肌さみしさ、もやもやとした不安、孤独を感じ続けることになります。
「自分をごまかして生きる」という言葉が近いでしょう。
そのため、自立した大人の女性として日々を過ごしていても、感情と行動をコントロールするすべを、ああでもないこうでもないと人知れず模索し続けているのではないでしょうか。
(どうして気づいてくれなかったの)
(どうしてわたしをもっと愛してくれなかったの)
そうやってお母さんを責めてもしかたがないと理性で理解し、感情と行動をコントロールするすべを身に着けた、大人のあなた。
とてもすばらしいし、その努力には、同じ女性のひとりとしてリスペクトを感じます。
でも、そうした自助努力は長続きしませんし、限界もあります。
昇華することはやっぱりできません。
なぜなら、あなたの心の中のけなげな少女を、あなた自身もあの頃のお母さんと同じように、傷つけているからです。
気がついて。気がついて。
わたしがここで泣いていることに。
さみしくて悲しくて、不安でこわい。
そばに来て、安心させて。
心の奥底で泣いている少女のあなたは、もうあなたしか見つけてあげることができません。
駈けよって抱きあげてあげるまで、ひとりぼっちで泣いています。
ときどき意識にかすかに届くその声が、ふとよぎる、いわれのないさみしさや孤独感の正体です。
理性と知性で冷静に対処できるようになったとしても、7歳の頃のピュアな無意識に焼きついた原体験は、強く残り続けます。
これは、陰の世界で、セクシャリティとしてこの事実に向きあわない限り、根本的な解決にはならないのです。
とはいえ、どうしたらいいのでしょうか。
ちょっと途方に暮れてしまう問題ですね。
ですが、原因の根幹が、自己犠牲を誘発する母性本能のしわざだったと思いだせれば、答えはすぐに見つかります。
あの頃、お母さんにいちばんしてほしかったことはなんですか?
「痛みがまんソフト」が稼働しなければ、がまんしないですんだ欲求は……。
あたたかな肌のぬくもりで、からだ中を包みこんでもらうことでした。
これが、あらゆる悲しみに枝分かれしていくことになる、たったひとつの悲しみの根幹です。
同時に、これをどうにかして消し去ろうと模索する旅が、性世界である陰の旅になります。
長い人生の中で、すべての女性が求め続ける、恋愛やセックスの本質的な目的です。
