あけましておめでとうございます!
水野スミレです。
皆様、良い新年をお迎えでいらっしゃいますか(*゚ー゚*)
わたしも例年通りにおせち料理を作り、つきたてのおもち(もちつき機ですがw)をたくさん食べて、2017年を元気いっぱいにスタートしました。
元日はいつも、ひとり暮らしをしている息子や妹夫婦もわが家に来てくれて、一日中リビングでおしゃべりをして過ごします。
一緒にいるだけで家族の絆を感じる……これもよく考えると、とても神秘的だなあと思ったりしながら、たくさんの希望を胸にチャージしました。
わたしはシングルマザーで、25歳(♂)と22歳(♀)のふたりの愛する子がいます。
男女の性を語る仕事上でも、彼らの存在はとても大きいものでした。
なぜなら、どちらの子も同じように可愛いために、「女性寄り」にも「男性寄り」にもなれなかったからです。
人は感情の生き物ですから、男女どちらかに肩入れをし、どちらかの感情を満たせばどちらかの支持が受けられますよね。
けれども、女性重視でいけば男性を傷つけますし、男性重視でいけば、旧来のセックス観同様に女性の性的犠牲を強い続けることになります。
これがわたしにはできなかったのです。
また、シングルマザーは、経済、物理的な苦労だけではなく、自分の女性性だけで子育てができないという隠れたデメリットも、非常に大きいもの。
母親でありながら、同時に父親的な役割も果たさばければならないので、思い切り甘えさせたいのにあえて突き放したり、厳しい目標を掲げさせたり、ひとりの女性としては心が引き裂かれそうにつらかった日々を覚えています。
仕事上でも、元々は女性の性的抑圧を改善したい目的で作家業をスタートしたものの、まだまだ世の中的には、性=エロ・わいせつでしたから、色々な憂き目にも遭いました。
男性不信にもなりましたし、自分の非力にペンを捨てたくなる時も一度や二度ではなかったのですが……。
それをグッと食い止めたのが、息子の存在でした。
子どもにとって母親の影響は絶大なので、わが子には男性のすばらしさを公正に伝え、自信や憧れ、尊敬心を育みたかったのです。
そのために、どこかにかならず男女双方のしあわせを約束する性のカギがあると信じて、ああでもないこうでもないと20年以上研究してきたのですが……。
ついに見つけることができたのは、去年のことです。
iPS細胞でノーベル賞を受賞した京都大学の山中教授の、とあるホルモン研究を知った時に、すべての性の謎が解けました。
そして、性はエロやわいせつどころではない、人の健康と幸福に欠かすことのできない大切なものであるはずだという、わたし自身のかたくなな「仮説」が真実だと立証できたのです……。
それでは、お待たせしました!
今年最初の記事には、25年前、わたしがまだボヤ~とした未熟女子だった頃の、ある不思議な性体験を書きますね。
25歳で結婚し、1年後に初出産をした26歳の時の出来事です。
総合病院の陣痛室。
全身がくだけ散るかと思うほど激しい痛みが続き、
「ようやく赤ちゃんの体勢が整った」
と、分娩室に移された時には息も絶え絶えで、
(死んだ方がましだ)
と、それしか頭にありませんでした。
容赦なく、どんどん強く短くなる陣痛の波。
「いきんで!いきんで!」と看護師さんがしきりに叫んでいますが、そんな力があるならさっさと使って一刻も早くお産を終わらせたいのは山々です。
でも、体力の限界を超えていたのだと思います。
気を失っては痛みで目覚めることを1分刻みでくりかえし、叫び声を上げる力も使い果たして、津波に揉まれる藻屑のように激痛の渦に巻かるばかりでした。
分娩台に乗って2時間が経ったでしょうか。
突然、骨盤付近がめりめりと音を立てました。
一瞬、痛みが消えたかわりに、股間から強いオーガズムがかけのぼったのを、
混乱する頭が感じ取りました。
せめぎあう痛みと快感に理性がパニックを起こしていると、からだに奇妙なものが乗り移った気がしたのです。
どこからともなく恐ろしいくらいの力……。
疲れ果てたわたしのからだの力ではない、宇宙からか大地からか、稲妻のようにすさまじいパワーが一挙に腹部に宿ったのをたしかに感じました。
(なに、これ!?)
ぎょっとするまもなく、わたしのからだは勝手に動き始めました。
借りもののパワーが全身にみなぎり、混乱する理性をよそに、強大ないきみを起こして産道から息子を押し出したのです。
「ウーーーン!」
男性よりも低く野太い声で、わたしは唸っていました。
つるりとした感触と共に、すべての激動が消えました。
産声が分娩室に響き渡ります。
作られたような冷静が、13時間ぶりに脳裏に戻ってきていました。
泣く子を胸元に乗せられたけれど、感動すらわかない虚無感にとまどいました。
(だれだろう、この赤ちゃん。わたしの子として生まれてきたのはまちがいないけれど…)
ほんの数時間前まで、わたしは、ただのわたしでした。
赤ちゃんを産み終えても、あまり変わりません。
(産めば愛せるかと思ったのに…そう簡単に母親の気持ちにはなれないんだな…)
わたしはその時点ですでに、愛もしあわせもない結婚生活に悲しみを抱えていましたから、母になった喜びよりは不安のほうが大きかったのかもしれません。
もう生活から逃げられない絶望感と、先行きの不安が、産後の率直な感想でした。
すべての処置を終え、分娩室から病室に戻ると、冷めた夕食がベッドテーブルの上に載っていました。
焼いたサバとごちゃごちゃした野菜の煮物で、量だけはふだんの倍もあります。
元々食が細かったので、こんなまずそうなものをぜんぶ食べきれるわけがないと思いながらも、ひと口箸をつけると、無意識のうちにそれをぺろりと平らげました。
自分でもびっくりしました。
22時に夜食の果物とサンドイッチが出て、それも食べ、家族が見舞いに置いていったロールケーキも一本まるまる食べつくしてしまいました。
そして、その晩は泥沼に沈みこむように眠りました。
翌日は、数時間おきに新生児室へ行き、息子に初めての授乳をしました。
頭とからだは、多少落ち着きを取りもどしていたけれど、やはり感動はなく、人形のように言われるまま乳首を吸わせるだけでした。
前日に引きつづき、食べても食べてもおなかがすきました。
出産で使ったエネルギーは計り知れなくて、わたしの本能がわたしのからだを必死に守ろうとしているのをまざまざと感じます。
赤ちゃんどころではなく、ひたすら眠り、山のように食べることのくりかえし。
死にかけて、生き長らえようとする動物のようです。
晩の夜食では足りないと困るので、母に頼んで菓子パンを買っておいてもらっていたのですが、深夜0時を過ぎても寝つけなくて、またしても空腹を感じ、わたしは戸棚からパンを出して食べ始めました。
砂糖むきだしの甘味が口に広がると、ほっとすると同時に、突然、頭の奥が無音になった気がしました。
そして、静かになにかが響きます。
サー……。
なんだろう、と思うまもなく、わたしは産後初めて、突如として息子恋しさにぼろぼろと泣きだしたのでした。
大きな総合病院でのお産で、母子別室でした。
明日の朝まであの子に会えない。
授乳時間になるまであの子を抱けない。
今までまるで感じなかったそのことが、胸を引き裂くばかりの悲しさとなって押し寄せ、わたしはなにがなんだかわけがわからず、とまどいました。
この悲しみはなに?この狂おしい恋しさはなに?
あの子に会いたい。抱いてやらなくちゃいけないのに。
朝が来て、息子を抱いてしまうと、うれしいにはうれしかったのですが、気持ちは意外に穏やかでした。
(夜中の、あの錯乱に近い感情はなにかの思い過ごしか、記憶違いだったの?)
けれど、その晩も、ほとんど狂おしさともいえる激しい悲しみに見舞われました。
動悸がし、からだが熱くなり、ふるえていました。
ナースコールで看護師さんを呼び、
「どうしても眠れないので息子に会わせて欲しい」
と頼みました。
新生児室に入れてもらい、息子を抱きあげました。
そうすると、やはり憑きものが落ちたようにわたしの心身は平静を取りもどしたのです。
「先生の許可が出れば、明日からは赤ちゃんと一緒に眠れますよ」
看護師さんはわたしに言いました。
母子別室は母体の疲労回復のためであり、わたしの産褥は良好で、もう同室でもかまわないと診断されました。
そうしてもらうことになった、4日目の晩。
買いものカートのようなベビーベッドから、自分のベッドに息子を移して寝かせました。
わたしは添い寝するように身を横たえます。
出逢ってからまだほんのわずか。
接触したのはトータルで6時間程度でしかありません。
わたしの子だという情みたいなものを感じようにも、不思議さや疑念のほうが先に立ってしまいます。
どこからか湧いてきたか、降ってきたかと思うくらい、ちっとも見覚えのない赤ん坊。
言葉も交わせず、心を通わせるすべがよくわからないのです。
息子は他の新生児に比べるとひとまわりも小さく、顔の直径は8センチ程度しかありませんでした。
それをしげしげと見つめているうちに、またわけがわからないまま涙があふれ始めました。
生き物であることは無理なんじゃないかと思うほど頼りないからだを、おそるおそる抱きあげ、胸と腕で包みこむと、あたたかく、やわらかでした。
そして、それがやってきたのです。
……ぱん……。
なにも考えていない、黒っぽい闇夜のような頭の中に、ちょうど花火のスターマインが打ちあげられたようでした。
パンとはじけて満面に広がり、まばゆい金の粉が頭の中をゆっくりと流れ落ちていきます。
サー……。サラサラサ……。
生まれて初めての、壮絶な快感でした。
快感といってもからだが感じているのではなく、100パーセント頭が味わっています。
やさしげに訪れたのでもなく、ぱんと破裂して降りそそぐように、いきなり襲ってきたのです。
至福。恍惚。
いえ、壮大な広がりを持つ歓喜でした。
激しい渦となって押しよせ、わたしを巻きこむ歓喜です。
意識がどろどろにとろけていくようでした。
果てしなく甘く、優雅に。
そして、その時は、前回とはケタ違いに長く続いていました。
何秒何分どころか、1時間、2時間、さらに。
眠りと気づかないままいつのまにか意識を手放し、母乳を欲しがる息子の泣き声に目を覚まして乳首を吸わせると、またその感覚に襲われます。
夜通しくりかえされました。
残り3晩、まるで麻薬に侵されているかのように、わたしは夜な夜なその金と黒の不思議な場所へ連れていかれ、至福の快楽に涙を流していたのでした。
退院して家に帰ると、不思議とそれはもう起きませんでした。
すでに、息子はかけがえのないわたしの生命となり、だれがなんといおうと、
(この子に出逢うためにわたしは生まれてきた)
(この子を愛し守り抜くためなら、どんな困難だって耐えられる)
と、疑いなく思える、ひとりの母親に変身していたからです。
この体験をした20年後に、わたしは、まったく同種の快楽を男性とのセックスで体験することになります。
身も心もとけあう感覚を、おたがいにはっきりと確認し、その後も信じあい、支えあい、守りあうという、それまで精神論だったものが確実に存在することを知りました。
サー…サラサラ…。
出産。オーガズム。
究極の性体験でわたしの頭に流れたそれが、「オキシトシン」という脳内ホルモンだと知ったのは、25年後の去年です。
・人と人との絆を生みだす
・やすらぎと幸福感をもたらす
・心の通うふれあいで分泌する
・生殖年齢を過ぎた男性の脳および免疫細胞の劣化を防ぐ
・痛みを緩和する
こうした魔法のようなホルモンとして、医学界でも注目され、研究が進み始めていると教えてくれたのは、iPS細胞の山中教授でした。
NHKの番組でしたが、画面の向こうの解説を聞きながら、もう胸がいっぱいで、うれし涙が止まりませんでした。
25年前の鮮烈な体験がわたしの人生を変えたとしても、性やセックスをひもとくのは、誤解や偏見、差別、男性不信との闘いで、正直イバラの道でした。
でも、今は胸をはって皆様にお伝えすることができます。
オキシトシンは、傷を癒し、愛としあわせで心を満たして、細胞を若返らせ、スピリチュアルな生命の神秘をリアルに見せてくれる、すてきなホルモンです。
どんな人でも分泌させることができますし、むしろ、分泌するために備わっているわたしたちの性のしくみです。
次回から、すこやかで愛に満ちた生命の贈り物・オキシトシンについて、数回にわけてご説明していきますね。
どうぞお楽しみに!
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