愛の感情や性的快楽のしくみをにぎる、オキシトシンホルモンのお話、第2回目です。
オキシトシンは、女性であるあなたにとって、切っても切り離せない大切なホルモンのひとつです。
もちろん、男性にとっても大変重要なホルモンで、働きと効果は同じなのですが、ここでは女性を主軸に説明していきますね。
これまでオキシトシンは、出産の時に子宮を収縮させたり、赤ちゃんへの授乳のために母乳を出す役割が知られていました。
けれど、最近の医学の発達で、わたしたちの心とからだにとって、もっと広範囲に、それも年齢性別関係なく、常に重大な働きをしていることがどんどんわかってきたのです。
・細胞生成
・自律神経の調整
・ストレスホルモンの軽減
・痛み(痛覚)の緩和
・内臓機能の活性化
・学習能力(記憶力)の向上
ほか。
医学の常識が塗り替えられるほどで、世界中の医学者が注目しているのもうなずけます。
読みやすい良書も出ていますので、ご興味あれば、ぜひ読まれてみてはいかがでしょうか。
わたしはもちろん、世界的な医学博士や学者の先生たちが(わかっているのかもしれませんが)言えない性とセックスの角度から、オキシトシンの作用についてお話していきますね。
では、目に見えない陰の世界へとフォーカスしていきましょう。
この講座の過去記事で、「3.性欲って何に対する欲ですか?」という話をしました。
人はひとりでは生きられない。
だれかのそばにいて心が落ちつき、不安が消える感覚は、生命維持の安心感。
これが性欲の本質なのですが、この際に人と人とを結びつけ、信頼や縁、絆という継続性のある感情を脳の中で生みだすのがオキシトシン・ホルモンです。
ホルモンという言葉自体は、目新しくはありません。
あなたも、目に見えない成分がなんとなくからだの中で機能してくれている……それはそれとして、心という自我は、からだとは別にどこかにふわふわと存在している……。
そんなふうに思っているのではないでしょうか。
わたしも、ずっとそんな認識をしていました。
ですが、前回書いたわたしの体験、産後の母性愛の目覚めも、まさにオキシトシンの作用だったのです。
注目点は、心のありようまでガラリと変えてしまったところでしょう。
心がホルモンに操られるというのは、ちょっとショッキングな部分もありますよね。
けれど、これはもはや医学や科学が認める事実のようです。
わたし自身は、こうした現代医学に触れる前に、熟練の東洋医学の先生の元で、「心とからだはひとつである」という人体の基礎知識を5年に渡って学び、精神ストレスがからだに及ぼす悪影響の数々や、逆に、からだを癒されてうつやアトピーが治ってしまうという、神秘的な臨床例をたくさん見てきました。
人の心とからだは、広く緻密に複雑に、ミクロ分子のレベルまでひとつながりにつながり、作用しあって成立しています。
複雑になる前の原型が性のしくみ、生殖システムなのですが、今のように文明社会ができあがって生活スタイルが多様化しても、そこは変わらないのですね。
人は大きな脳を持っているために、他の動物に比べて未熟な状態で出生します。
脳がしっかり育つまでお腹の中にいると、頭が大きすぎて出てこられませんし、母体生命が維持できなくなるためです。
危機管理や食など、生まれた赤ちゃんの脳やからだに自立した生存能力が発達するまで、最低でも生後二年です。
妊娠から数えて丸三年は、母体である女性は赤ちゃんのために心身を提供するのが、わたしたち人間の性のしくみです。
この間、行動の自由が利かない女性は、食料調達や巣である住居の守備を、赤ちゃんの父親に一任します。
一組の男女が力を合わせて子を守るという一夫一婦の原型は、文化というより本能だったわけですが、おもしろいのは、この時のオキシトシンの働きです。
わかりやすくするために、極端な例えにあてはめますね。
うんと原始の、文明文化がほとんどなく言語も確立していなかった時代であっても、夫役である男性がまさに命がけで妻子を守ったからこそ、人はこの地球上で繁殖することができました。
でも、どこか出来すぎな話にも思えますよね。
そんな社会的ルールもなければ、他の女性に目移りもするでしょうし、そもそもお腹の子の父親が自分であるかどうかもわかりません。
妊娠した女性を見捨てることもたやすいですし、養育の任務を果たす必要は、ないといえばなかったのに、なぜ原始の男性たちは、そうした自分にとって楽な行動を取らなかったのでしょう。
答えは、男性が自分と赤ちゃんをちゃんと庇護するように、女性側のオキシトシンホルモンが操ったからです。
人は生物界で唯一、発情期のない動物で、生殖以外でセックスをする理由もここにあります。
基本的には、女性の豊かなオキシトシン分泌が男性をやすらぎで誘惑し、男性を愛で酔わせてつなぎとめます。つまり、媚薬ですね。
見つめあい、肌をふれあわせ、抱きあい、性交することで、男性側にも多くのオキシトシンが分泌するようになります。
オキシトシンは、やすらぎと幸福感をもたらす、いわば「善良なる愛の麻薬」ですから、その女性は手放せない大切な存在として男性の脳に焼きつき、継続した愛と絆の感情を維持するようになります。
男性のオキシトシン司令は女性を愛して守り、女性のオキシトシン司令は子どもを愛して守るという図式ですね。
また、闘いや死の危険と隣り合わせの日常を送る男性は、バソプレシンという闘争ホルモンが活発に分泌しているため、好戦的です。
オキシトシン分泌の機会を得ることで神経や血圧のバランスが取れ、自制力も身に着いて延命につながったのでしょう。
こうして、人は愛によって生命をつないでこられたのです。
さらにおもしろい話をしますと、このオキシトシン効果は、恋愛スタートから3年間だそうです。
どんなに熱烈な恋愛でもほぼ3年で終わるという、ちょっと残念なデータを脳科学が証明してしまったのですが、恋愛中のふわふわドキドキした高揚感をもたらす快楽物質・ドーパミンが、3年でこと切れるようにプログラミングされているそうなのですね。
これも、出産、育児を前提にした性のしくみの時間枠なのでしょう。
ドーパミンはオキシトシンのように血液に送りこまれるホルモンではなく、脳神経に快楽の電気信号を送る物質ですが、視床下部のオキシトシン貯蔵庫を刺激して、オキシトシン分泌をうながします。
恋する女性の肌が透明感を増したり、瞳がうるんできらきらと輝いたり、神経も敏感になってセックスの気持ちよさがグッと高まるのも、オキシトシンの効果です。
ただし、長くて3年という期間限定。
それ以上の長期に、かけがえのないパートナーシップを結ぶには、セックスもしくはじゃれあうようなスキンシップをいつでも楽しめるような親密さがなければ続きません。
相手への愛情を生むオキシトシンが自然分泌されないからです。
なんとなく、全容が見えてきましたね!
現代の凌辱主流の性情報に従ってしまうと、いずれ男女が愛情を失うのは自然の理で、憎み合いやセックスレスなどなどの「性の不幸」が増えても不思議ではないのです。
女性が危険や恐怖、痛み、みじめさを感じたり、やすらげないセックスをくりかえす関係は、もって3年。
その後は、
(わたしったら、どうしてあんな勝手な男に夢中になっていたのかしら)
と、出会い当時の狂おしい愛しさはケロリと忘れてしまいます。
逆に、女性が安心感を感じ、心地のいい肌感を得られて、もっと甘えたい、抱かれたいと思わせる優しい感性が男性にあると、自然な愛の感情を長く持ち続けることができます。
そして、ふたりの長いセックス歴の中で、女性のからだはゆっくりとオーガズムへの道を歩み、いつかはオキシトシン貯蔵庫にたどり着きます。
それによって、さらに大量のオキシトシン分泌法を体得して、相手以外には目もくれないすてきな純愛、男女愛、家族愛へと、ともに成長していくことができるのです。
おまけの話ですが、この恋愛3年ドーパミン打ち切りシステム、どうしてもっと長くならなかったのでしょうね。
生殖のためなら、ずっと続いて出産をくりかえす方法もありだったという気がして、生物学や遺伝子学も調べてみました。
結論としては、男性にはちょっと申し訳ない内容になってしまうのですが……。
赤ちゃんが2歳になって行動が自由になったら、女性がまた別の男性を愛して子を身ごもれるように、らしいのですね。
生殖戦略上、そのほうが遺伝子のバラエティが増えて子孫繁栄率が高いですし、未開生活は日々リアルに死に直面していて、同じ男性の子を二人、三人と産める確証がなかったためでしょう。
陰陽のしくみはホルモンにもあり、愛と絆のオキシトシンの対局にあるのが、バソプレシンという闘争ホルモンです。
男性への作用が著しく、闘争や競争に立ち向かい、危険を顧みないという、たくましい男性性の源になっています。
ただ、勇敢過ぎて命知らずだと妻子の庇護ができず血脈が絶えてしまいます。
となると、ひとりの女性に大切にされ、死の恐怖(バソプレシン)を生きる悦び(オキシトシン)でバランス調整できた男性が、危険に身をさらさない遺伝子上の成功者になれるというわけです。
わたしたちのはるか遠い祖先も、そうだったのでしょうね。
現代でも、目に見えない陰世界では、男性のからだはオキシトシンが欲しくて女性を求めるのかもしれません。
バソプレシンはストレスと闘うホルモンで、出す一方だと内臓、ことに肝臓や副腎機能を低下させて、うつやEDを引き起こします。
現代でも、肝臓といえば中高年男性の健康不安のトップですよね。
闘いの後にはやすらぎが必要なのに、陰世界でも征服願望や凌辱願望、興奮するためのプレイでバソプレシンを出してばかりでは、心とからだを痛め、老化が早まってしまうのです。
こんな観点から眺めてみると、性のしくみはとてもうまくできているなと思いませんか?
CMではなけれど、長年寄り添い、老いても手をつないで微笑みあう夫婦の姿を美しいと感じ、憧れるのも、「そこに生命としての成功があるよ」という、本能からのメッセージだったようです。
