性の話は、いくらしても尽きません。
もっと具体的に、ピンポイントでお話したほうがいいのかな、という気もするのですが、できれば先に全容を知っていただきたいなと思うのです。
というのも、わたし自身が全容を知らずに苦労しちゃったからなんですね。
自分という小さな笹舟が、池に浮かんでいるのか、湖なのか、海なのか、まわりを見てもさっぱりわからない…。
性の世界はそれほどにも広いです。
でも、いつかはここにたどり着くという安心感があれば、ちょっと漕いでみようかなという気になりますよね。
性は本能です。
本能はあなたを不幸にはしません。
その証拠となるのが、性のふれあいで分泌するしあわせホルモン・オキシトシンです。
男性は陽。
女性を守り、よろこばせたい本能の持ち主。
女性は陰。
守られ、よろこばせてもらうことで男性に生命力を与える存在です。
悠久の陰世界で、このしくみが変わらずにきたのは、人のからだの成り立ちそのものだからです。
女性と夢のようなセックスをしたいと願っているのは、男性も同じです。
ただ、何度もくりかえしてしまいますが、現代にあふれる性情報は、ほとんどあてになりません。
夢のようなセックスを求めてさまよう、男性性の現れでしかないからです。
競争や闘いに勝ちたい。
多くの仲間(男性)から一人前だと認められたい。
不安や劣等感を自分ひとりの力で克服したい。
これら男性の本能的な向上心は、たしかに人としてのすばらしい心の成長をもたらしますが、社会という陽の世界でするべきこと。
恋愛やセックスの陰世界で通用させようとしても、うまくいくものではありません。
わたしたち女性が母性本能という「痛みがまんソフト」の取り扱い法をだれにも教えてもらえなかったように、男性もやはり、闘争本能という「突撃ソフト」のより良い取り扱い法を、だれからも教えてもらえていないのです。
そのためでしょう、ごく男性的な男性目線の性情報が大量に作られ、蔓延していきました。
性欲という快楽欲を満たせば勝ち組になれる。
人はしょせん孤独な生き物。
愛と性は別物。
慢性オキシトシン不足の男性は、わりとこんなふうに考えがちなのですが、あなたが女性である以上、夢のようなセックスがそんなにもの悲しいものじゃないことは、うっすら予感できているのではないでしょうか?
愛としあわせで満たされて、機会を与えてくれた相手の存在に感謝し、自分との境い目がなくなるほどふたりの心がひとつの愛にとけこむ……。
からだのつながりによって、こうした境地にたどり着けそうな予感は、オキシトシン分泌に慣れた女性に聞こえてくる「内なる性情報」です。
その声を信じて、陰の旅路を進みましょう。
あなたが誇りと美意識をたずさえていれば、男性にもかならず伝わります。
性世界をさまよう彼を、愛に目覚めさせることもできるでしょう。
「女性は挿入されている時がいちばん感じる」と信じている男性が、今もどれくらいいるかはわかりませんが、これが誤情報であることは常識になりつつあります。
視覚ですべてを理解しようとすれば、こう思っても不思議ではないのですが、目に頼りすぎるほど大切なものが見えなくなるのが、陰世界のしくみです。
ある男性、Yさんのお話をしますね。
Yさんは、仕事で知りあったAV監督さんです。
大学を出て企業に勤めたあとAV業界に飛びこんで、25年に渡り、何千本というAV作品を世に送りだしてきたベテランです。
本を書くための取材からオファーをいただき、約三年、一緒に仕事をさせてもらったのですが、実はわたしは大のアンチAV派。
性をおもちゃにしているようで、AVには不快感を持っていましたし、世の男性たちが女性を誤解する元凶のように思っていました。
Yさんはもちろん、自分の仕事に意義と誇りを抱いていますから、なにかというとすぐ口論になりました。
男性性と女性性のぶつかりあいですね。
男性には男性の性と夢がある。
女性には女性の性と夢がある。
どちらが悪い、どちらが偉いというものじゃないだけに、答えもないし、終わりのない不毛な議論ばかりです。
ふだんボケ~としているわたしですが、性に関わることで抵抗や違和感を感じると、言葉ひとつでもついカーッと頭に血がのぼってしまいます。
YさんはYさんで、性やセックスの魅力を多くの人に伝えたいという信念を持っていましたから、「AVのようなやり方では逆効果だ」という生意気なことを、わたしはズケズケと言い続けるしかありませんでした。
理論と実践でいえば、理論は弱いですからね。
性の現場でYさんの見聞きしてきた経験値のほうがはるかに上ですし、目に見えない、言葉も存在しないことを理解してもらうのは、とても困難です。
ただ、視覚のスペシャリストであるYさんには、スーパー視覚とでもいうべき、ちょっと不思議な能力があることが、議論する中でだんだんわかっていったのです。
監督であるYさんは、有名なAV女優さんから素人同然の人まで、性に積極的な女性一万人近くを、被写体として肉眼で見てきています。
もちろん、商品化する前提で監督オファーが来るため、煽情的な演出や編集など、Yさん言うところの「映像マジック」は欠かせません。
それでも彼自身は、女優さんが本当に性の快楽を味わっている時と、演技をしている時の見分けは、すぐにつくとか。
「女性は演技がうまいので、表情だけではウソか本当かなかなかわからない。でも、なんて言ったらいいか……本気と演技では、空気や気配がまるで違う。映像には映らないから残念だけど、明らかに立ちのぼる空気が変わる。あれはいったいなんなんだろうって、ずっと思っていた」
愛としあわせのエネルギーがからだに満ちているかどうかが、Yさんには見えるわけです。
それは、出産や授乳時とおなじ生命の成分なのだとわたしは伝え、その違いを男性に知ってもらわなければ意味がないことを、こんこんと訴えました。
Yさんのおかげで多くの人と知りあい、わたしもわかったことですが、AV業界で働く人たちというのは、イメージと違って、かなり純粋な人たちです。
押すほうか押されるほうかといえば、押されるほうでしょう。
Yさんもそういうタイプで、わたしのしつこい訴えに、しだいに心を動かしていきました。
男性の自慰用、娯楽用に作ってきたAVが、いつしか観る人にとっての性の教科書になってしまい、女性も男性も愛としあわせから遠のいていることにも気づいたと言います。
以来、トークイベントなどを積極的に行い、「視覚ではわからない性の魅力」を伝え続けているYさん。
去年、オキシトシンの存在を知ったわたしが「目に見えない気配の正体はこれなのよ」と説明をした時、Yさんは、それまでの膨大な経験値と自分の中の疑問が点と点とでつながり、
「そうか。まちがいない」
と、目を輝かせて答えました。
そして、ひとすじの涙を流しました。
彼にも愛する家族がいて、子煩悩なひとりのパパでもあるからでしょう。
性は生であり聖なのだと深く実感でき、言葉にならない感動が押しよせたと、わたしの頑固な執念に、お礼を言ってくれたのです。